Division -後編- |
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「ユーリ。」 控えめなノックの後に聞こえた声は俺を落ち着かせる。 直ぐに追いかけてくれなかったので、意地になってその声に答えなかった。 「入りますよ。」 いくら待っても答えが返ってこないので溜息を一つ吐き、ドアを開けて入ってくる。 あれから俺は自分の部屋に戻ったはイイが落ち着かず、けれどコンラッドが来てくれるだろう高をくくっていたのだが、 なかなか現れないコンラッドに痺れを切らして、彼の部屋に行ってはみたが苛々は募るばかりで。 いつもならベッドに寝転ぶと彼の匂いに包まれているような錯覚に陥るのに、それすら鬱陶しくて。 そう感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方なくて。 結局、彼の部屋にこれ以上居る事が出来ず、すごすごと部屋に戻ってきた。 いくら待っても来てくれないコンラッドに不安が募り、不貞寝をすることもままならなかった。 もしかしたら我侭で魔力も無い俺なんかより、もう一人の俺を選んでしまったのではないかと更に不安が募った。 苦しくてどうしようも無い俺は、度胸や勇気も無く、自分からコンラッドを探しに行く事も出来なかった。 マイナス思考が働き、嫌な事ばっかり考えてしまうので、夜風に当たるために現在テラスに出て空を眺めていた。 「風邪を引きますよ。」 パサリと方に掛けられたのはコンラッドの軍服。 よく見慣れたそれは幾度も俺を暖めてくれたけれど、どうしてだか今はその温もりさえ涙を誘った。 泣いてたまるかと唇を噛んで耐えるが、それが裏目に出て肩が震える。 それに気付いたコンラッドは後ろから俺を抱きこんだ。 手を重ねて耳元に唇を寄せて囁く。愛を歌うかのように。 「不安にさせてすみません。本当はすぐにでも追いかけたかったのですが……。」 上様に妨害されてねと苦笑をした。 疑心暗鬼になった俺はその言葉を素直に受け入れる事が出来なかった。 本当に?本当に妨害されて遅くなったのか? 先にアイツと話して安心させてから俺のところに来たんじゃないのか? 悶々と似たり寄ったりな不安が駆け巡る。 「ユーリ…オレは貴方だけを愛しています。 確かにアレもユーリですが、オレはあっちよりもこっちのユーリが好きです。 誰が何と言おうとオレが愛を囁くのは貴方だけ。この愛に偽りはありません。貴方の為なら命も惜しくない。」 ダムが決壊したかのように、いつのまにか俺の頬は涙で濡れていた。 コンラッドが優しく目尻にキスをいくつも落としあやしてくれる。 そんな彼の行動が俺の中の何かを壊した。 野球を辞めた時ですらしなかったのに、枷が外れて彼の腕の中であられもなく声を上げて泣いた。 「馬鹿野郎ぉ…なんで…なんでもっと早くに来てくれなかったんだよぉっ…。」 「すみません。」 子供のように癇癪を起こした俺を嗜める事も無く、コンラッドはただただ謝って、そして愛を囁いた。 時折、目尻にキスを落として涙を拭いながら。 そんなやり取りを続けてどのくらい時間がたっただろう。 とにかく泣くだけ泣いて、落ち着きを取り戻したところでコンラッドに部屋へと誘導された。 落ち着きますからと俺が好きな甘めのミルクティーを淹れてくれる。 俺はというと渡された濡れタオルで顔を、特に目の周りを重点的に冷やしていた。 腫れぼったくなっていた瞼に程よいひんやりとした冷たさが心地良い。 「熱いから気を付けて下さい。」 超が付く程過保護な彼は、こんな時にまで注意を怠らなかった。 ココまで来ると頭も上がらないが。 「ありがと。」 気恥ずかしくてあまり目を合わさずにミルクティーを体内へと取り込んだ。 夜風に吹かれて冷えていた体に暖かさが徐々に戻っていく。 そして自分が犯した過ちに頬を染めた。 思い出しただけで顔から火が出そうだ。いい歳して人前で…しかも、好きな人の前で声を上げて泣くなんて…。 「ユーリ、良い知らせがあるんです。」 にっこりと微笑みながら俺を見つめるハニーブラウンの瞳が鈍い色を放って虹色に輝いていた。 綺麗だなと改めて見つめながらコンラッドの話しに耳を傾ける。 視線が彼を捉えたのに気を良くしたのか甘みを含んだ声で話を続けた。 「アニシナに尋ねたところ、試作段階のため薬の効き目は一日程度が限界だそうです。 今夜さえ乗り切れば元に戻ります。ユーリの貞操を奪われずに済みますよ。試作段階で良かったですね。」 その言葉を聞いた瞬間、俺にずっと伸し掛かっていた錘が解けた。 この身を愛する人以外に委ねなくても良いのだと。 「貞操とか言うなよ!」 赤くなった頬を誤魔化すために悪態を吐きながらミルクティーを飲み干した。 くすりと笑う彼はきっと気付いているのだろう。でも、あえて言わないところが好きだ。 言ったら俺の機嫌が悪くなるのが解かっているからかもしれないが。 「さぁ、ユーリ。」 恭しく手を差し出されては受け取らないわけにはいかず、とりあえずその手に自分のを乗せた。 その途端、真正面から抱き締められた。突然の事に俺はそれを受け入れるしか手立てはなかった。 「ちょっコンラッドっ!」 胸へ手を突っ撥ねてみるがコンラッドの体はビクともしない。 それどころか腕ごと抱き込まれてしまった。状況は更に悪化したのだ。 「大丈夫。オレが守ります。この身に代えてでも。例えアレがもう一人のユーリでも。 オレが好きなのはユーリ、貴方ただ一人だ。ユーリが何と言おうと誰にも渡しませんよ。」 情熱的な告白をされて口付けを受ける。 神聖な儀式と錯覚するような出来事だった。 「俺も…俺も好きだよ。職権乱用だってなんだって、アンタを離してやるもんか。」 しどろもどろに消えてしまいそうな声で呟いた言葉を彼は聞き逃さなかった。 「離さないでください、オレを。」 もう一度受けた口付けはそれはそれは今までに無いほど甘いものだった。 まるで彼の瞳と同じ蜂蜜。 骨まで蕩かしてしまう絶品物。 一度味わったら忘れられない味。 俺はそれを一身に受けて味わった。 気付けば夜も更け、空が白みかかっていた。 二人で他愛も無い会話をし、満喫していると、窓は閉めっきてあるのにどこからか風が舞い込む。 それと同時に無粋にもノックもなしに身を忍ばせる影が揺らぐのに気付いた。 「ユーリ。」 声色に慈しみを込めて呼んだ相手は予想していた通りだった。 ベッドサイドにあるランプがうっすらと相手を映す。 「待ってたぞ。」 意を決して相手の出方を伺うとコンラッドが励ますように手を握る。ただし、布団の中で。 もう一人の俺はコンラッドが側に居ることが気に食わないらしく、少しの間睨みつけていたがやがて諦めたように目を伏せた。 「そんなに余が嫌いか、ユーリ?」 悲しげに開かれた瞳が俺を映す。 その目は幼い子供が親の手が離れて不安にしているのとそっくりだった。 今にも泣き出してしまいそうな瞳。 「嫌いじゃない…と思う。けど、俺はアンタと一つにはなれない。」 きっぱりと一字一句言葉にする。 自分がどれだけ残酷な事を言っているのか解からない歳ではない。 俺が俺を受け入れられなかったら誰が受け入れられるだろう。 それでも、俺はもう一人の俺と一つにはなれなかった。 俺の心がそれを許さなかった。 無理に押し通してもどちらも傷ついて完全な一つにはなれない。 それならば、俺はもう一人の俺と共有するという道を選んだのだ。 真剣な眼差しで彼を見続ける。世界は眠りにつき静寂が支配する中で時だけが音を立てて刻んでいた。 「ウェラー卿。」 沈黙を破った彼が呼んだのは俺の名ではなく、目の上のたんこぶだったコンラッドだった。 てっきり呼ばれると思っていた俺は、拍子抜けすると共に、一抹の不安が込み上げてきた。 形にはできない目に見えない不安。 ドロドロと俺を包み込んでしまう巨大なもの。 言葉に出来れば、コンラッドに話せるのにと自分が無知である事を呪った。 そう思うと共に、この感情を正確に表せる言葉などなのではないかとも思った。 「何ですか、陛下。」 コンラッドは俺ともう一人の俺との呼び方を区別する。 それがケジメでも信条でもあるかのように。 更に言うなれば、呼び方も俺のときとは違く硬質的なイメージの声色で。 崇高なる者を敬うように。 「ユーリを頼む。」 「言われなくともこの身に代わってでもお守りします。」 マニュアルがあるかのようにスラリと述べるコンラッドには羞恥を超えて感嘆さえあげてしまう。 そして、自分の無力さを悔しく思う。 「代わってでは駄目なのだ。ユーリを守り、尚且つ、そなたも無事ではないと。 ユーリを泣かせてみろ。余が貴様を始末してやる。そのことを肝に銘じておけ。」 ピシリと言い放った言葉は俺が予想していた物とは違った。 と、言うより俺の事を精一杯考えてくれた上での言葉だった。 案外俺が思っていたよりも、もう一人の俺はイイ奴かも知れない。 「頑張って果たして見せましょう。」 挑発的な笑みで返すコンラッドもどこか嬉しそうだった。 もう一人の俺もやっと、コンラッドを認めてくれた。 なんだか親に自分公認になったみたいで気恥ずかしい。 と、勝手に一人で照れていると、もう一人の俺が近付いてきた。 「ユーリ、迷惑をかけたな。」 「いいや、これからもよろしくな。」 友好的しるしの握手を求めると、困ったように笑いながら返してくれた。 嬉しくって微笑むと、相手も嬉しそうに目細めた。 俺、こんな笑い方もできるんだと新たな発見をしつつ。 「良い事を教えてやろう。」 すっと更に体を近づけてきたもう一人の俺は内緒話をするかのように小声で囁いた。 「余の名は…。」 やっと自己紹介かと耳を傾けていると、唇を奪われる。 そしてボソリと囁くと、コンラッドにかなり挑発的な笑みを浮かべて消えていった。 独占欲の塊の彼に火を付けて。 まるで自分を振った罰だといわんばかりにほくそえみ。 夜は長く朝まで遠く。 俺は自分の中にいるヤツに悪態を吐く暇もなく甘美なる夢に堕ちていった。 そなたにだけ教えてやろう。 余の名は眞王。 何人たりとも穢せぬ清き魂の転生者。 崇高なのはその風格ではなく心である。 そしてそなた自身でもある。 人は誰も傷つけずに生きていけないし、誰か無しには生きていけない。 誰かといても繋がりきれない為に虚しく夜が過ぎ、心を痛める。 痛みは決してやむことなく自分を戒める。 次第に痛みは麻痺をして心は感覚を失ってしまう。 それでも俺は、コンラッドと一歩ずつ進みたい。 振り返る事が、戻る事が多くても、それすら越えて前進していきたい。 彼とならそれが実現できる気がするから。 君が愛してくれた俺を愛してくれる人だから。 ![]() どうにか前後編で収まりました。 最後はかなり詰め込んでしまいしましたが; 一応甘めを目指したものです。 珍しく白めなコンラッドと思いきや、結局腹黒い(笑) 可哀想なのは上様。 たぶん彼は一度彼らの部屋に訪れて、きゃーと思ってブラブラと時間を潰して、もう一度来たんでしょう(笑) 書いてみると面白かも…。 作中でもユーリに思わせましたが、これを書きながら幾度も自分の無知さを呪いました。 思い描くものはあるのに、それを文字にできないというのは結構辛いです。 危なっかしいユーリはかなり自分とかぶりますしね。 珍しくかなり思い入れのある作品となりました。 by aya kisaragi |